240324霧島神宮のギャラリー天地人に行った話がメイン。雨だった。

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多く見積もっても3時間程度の睡眠。寝起きにゆったりすることもなく電車に乗る。霧島神宮に新しくできるギャラリーのイベントを見に行く予定だったのだが、電車の中でうとうとしている時間帯に雨天中止の連絡が流れていた。知っていたら映画館に行き先を変えていたかもしれない。

そんなことも知らず、中止を知ったのは霧島神宮駅に着いてからだった。まだ新しい木造の待合室に驚きつつ、ギャラリーの場所を調べようとして中止の連絡を見たのだが、そんなことよりもギャラリーの場所が検索に引っかからないことに困っていた。ノーヒント状態なので先刻電車にいた何となくアートを見てそうな人が歩いて行った方向を歩くと、野外展示の作品と石蔵が見え、勘が冴えていたと思った。

しかし、まだまだギャラリーが開くまで一時間ほどある。駅の待合室に併設されいたカフェも土産屋もコーヒー屋もカレー屋もまだ開いていない。山へ登る方向に歩きAコープが開いているのを確認する。あらかじめリュックに入れていたメロンパンを食べながら駅へ戻る。

駅には観光客がたむろしていた。彼らも予定が雨が行き先が無いのだろうか。焼きそばをどこで買ったのか気になる。よく案内板をみるとギャラリーのリーフレットが置かれていて、駅員がギャラリーの場所を案内していた。どっちみち目的地には行ける運命だったらしい。そろそろ開く時間だろうとギャラリーに向かうと、駅で見かけた家族や遠出っぽいファッションの人が何人か流れ込んでいた。

多少濡れた傘とレインコートを乾かすために、広めの軒に置かれたベンチで休む。外から覗くだけでも、都会のギャラリー街を目指しているような意気込みを感じた。入り口の横の石壁にアート物体が掛けられ、その下にいかにも手が込んだ盆栽があった。その横を元気が余っていそうな子供が競歩だと反則を取られるくらいの早足でハラハラした。現状、意識の高そうな空間に来るのは迷い込んできたような人ばかりで、何やらその土地に新しい出会いをもたらすような予感がした。

石蔵の中に入ると、天井の高さに驚く。正面の壁に掛けられたコミュニティシネマのスクリーンくらいの大きさの作品にも解放感が出せるくらいのゆとり。石蔵の隅と中央には畳が敷かれ、木の器と盆栽が置かれている。それらに取り囲まれるようにソファが1つ配置されている。石蔵の壁には木の柱が組んであって、巨大な床の間の中央に入ってしまったような感覚になる。非日常の中に生活感を抱いていた。

復路について考えることにする。鹿児島市側の電車は夕方まで特急しかなかったのだが、ちょうど国分までのバスが出るところだったので駆け込む。駅近くの店はまたの機会に。今調べなおしたところ、特急で鹿児島に戻ったとしてもおおよそ500円くらい多く払うくらいなので別に特急に乗ってもよかった。何かもったいないと思う人は、国分か隼人で鈍行に乗り換えてもいいかもしれない。

実は、国分で友人と会う予定だったので国分で降りる。国分-隼人はおもちゃ屋が充実しているので好みである。別に何も買わなかったが。大きめのコープでミスドを手土産にする。その後、友人と遊ぶが両者寝不足で終始グダグダしていた。どうやら天文館でニアミスしていたらしい。最終的に体力的な無理がたたり、友人宅でおなかが痛くなったので遊ぶ日は無理をしないほうが良いという結論に至った。それでも友人はまた来てもよいといったので優しいと思う。

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