横浜遠征の一週間後、私が大野に持ち掛けたセッションの企画が終わり、ようやく肩の荷が下りた気分である。
遠征の熱が冷えないうちにやろうと思っていた筈である。しかし、体力が回復しないうちに企画を詰めるのは思ったより疲れた。
買ってきたCDを聞きながら、アニメを流しながら悶々と焦る日々。着想自体は早々に定まっていたがなかなかまとまらない概要。
当日に家のお湯が出なくなったアクシデントも大きい。
セッションについては追ってレポートを書く予定。手ごたえがあった一方、カジュアルにしようと思った施策が空振った点を対策せねばならない。とにかく、疲れ、というより単純に汗が流れないままセッションの日を終えた。
翌朝、給湯器がどうも直ったので試しに湯を張る。つい先日、温泉に行った記憶があるのだが泉質を除けば自宅の湯舟のほうがリラックス効果が高い。温泉というものは全裸でダンジョンを徘徊するようなアミューズメントだった気がする。漠然とした不安;原因こそ具体的に思い当たるが不安そのものは捉えどころがない、を忘れて湯にうずくまることこそが心を休めるものだったと実感する。そして、ようやく体がやすまる準備が整ったのか、夕方まで動けずにいた。
給湯器があっさりどうにかなった勢いでライブに行く連絡を入れていた。夕飯後、温泉に行くような感覚でライブに行く。温泉というものは、タイルが張られたホールに響くゴォォォォという音も重要なファクターである。ライブも音が響くので、ある種の温泉のようなものと解釈していいはずである。ライブは人が多かったがステージから離れるとある程度パーソナルスペースが確保できて居心地がよかった。主催のイノウエ氏が酒を飲んでいて、彼の背後にいると首の部分がピンク色になっているのが面白かった。最後、イノウエ氏のバンドの演奏。すでに彼のテンションは高い。彼は感情の何らかのポイントが高くなると、やさしさがあふれ出したような話を始める。大野の言葉の節々に見られるバンドに関するファンタジックな世界観、それと地続きのような論理の話だった。大野のと比べて実経験がしみているからだろうか、説得力があった。
この時以来だろうか、およそ10年くらい失っていた感覚が戻ってきたような気がする。
体より外側にも自我が広がっているような感覚で、肉体的にも薄めのヴェールをまとっているような気分になり健康に良い。これについても詳しく説明をしたいのだがまとめるためには何らかの調査が必要だろう。
心身のギアが変わるタイミングというのは、ふとした日程の変化で起こるものであり予測がつかない。

