2024年、10月13・14日。鹿児島市中央公民館で劇団(演劇集団)宇宙水槽が「四月馬鹿達の宴」を上演したので観に行きました。
フリーゲームの舞台化、というのは開演前にリーフレットを読んで初めて知ったので原作の内容は知りません。その上で、原作のテーマや名シーンが伝わってきました。ただし、観劇中の脳のリソースはキャラクターや装置が動いている「今」を楽しむ事に集中しているので、細かいストーリーの理解と記憶には自信が無い。きっとどこか間違えてるだろう。あとは、あの表現、ゲームではどうなってるの?など疑問があり、原作をプレイできたら確かめてみたい。答え合わせをする前に、可能な限り観劇直後の頭の状態をそのまま記録しておく。今回は公演そのものの感想を主に書く。
「メタ」の表現が楽しい
今回の公演の見どころは複雑で混沌とした世界観の落とし込みだろう。薄い幕越しに本を読んでいる人の次元とその中の次元に分けることから始まって、シルエットの四天王(おそらく劇中劇的な何か)とプロジェクターの王立劇団員(物語として実際に倒すべき幹部)の対比など、(私が理解した範囲だと)非常に複雑だが観ているうちに何となく構造が分かるしくみになっている。シルエットのほうが現実らしい気もするが、おそらく原作の素材と思わしきドット絵が出てきた時のほうが実体のように見えたのが不思議だ。
特に序盤の空気感は表現としても驚いた。曖昧な都の場面は物語的に様々な立ち位置となるキャラクターが入り乱れて登場するのだが、あの場面だけ異様に間や雰囲気が不揃い。かと思えば探偵組だけの会話のときは調和していて、空気感の齟齬と合致が緩急をつけて入ってくる感覚になる。これが一つの空間に複数の世界のキャラクターが混ざって存在しているような意図を感じた。実際に回想のシーンで個別に再会するものもあったので、元々は現実側の人物それぞれの記憶に基づく物語がいくつかあるのだろう。音楽の自由演奏の合奏のようなスリリングな移り変わりが、台本や文脈のある演劇で実現できるとは思っていなかったのでとても驚いた。
あとは、「あなた」が起きるシーンの淡い照明と仄かな独り言が好み。後の展開で現実そのものではないことが分かるが、現実と非現実が入り混じった状況は意外性があった。この描写がゲームではどうやって再現されているか非常に気になっている。現実と非現実の境界という点では最終決戦のときの仕掛けが「本(舞台装置)」より大きかったり、仕掛けの一部が客席まで伸びたりして「枠」を越えることは舞台ならではの要素で楽しかった。
このように現実と夢、記憶、物語それぞれの境目が、舞台であることやそこにいる人間が演じることによってうまく表現されていたと思う。一方、ゲームではプレーヤーが操作して物語を動かせる所にアドバンテージがある。原作にはそこを期待したい。記憶を消費するギミックなどが実際にどうなっているのか気になっている。
気になったシーン
どうしても書き留めておきたい部分を箇条書きにする。
ロボットの話すイントネーションがほんのりガストの配膳ロボっぽくて可愛かった。
ゾンビと戦闘するくだりでピー子がト書きのようなものを述べるときが面白かった。
薄幕の裏で灰色の男が部屋を片付けているところが蝕まれている感じがした。
剣+飛び道具vs剣の戦闘シーンが飽きない、衣装映えする動きだったと思う。
結局どんな話だったのか
ストーリーについてはテンポに対して自分の理解が追いつかなかったのでうまく整理できていない。この公演に限らず、細かく考えて場面を見逃す問題を嫌い、状況を楽しむ方に重点を置くスタンスで観ることにしている。
観劇中、「風のクロノア」と「ボクと魔王」の引用を感じた。その2つのストーリーのギミックを混ぜて考えると何となく辻褄が合ったので個人的にはスッキリしている。私の中では、リアルあなたがリアルシルクちゃんの本を読むことを通じて二人の心の世界が重なり、(1)勇者と魔王の物語――ひいては自由にナラティブが働くことを肯定できるようになる(2)物語によって救われるようになる、というストーリーになっている。2つの作品の仕組みを組み合わせて複数の人物の世界を新しく表現したように解釈できて、画期的に思えた。
細かい理解は、原作とも舞台とも離れて一人歩きしているので、うまくまとまったら別の記事に分けて述べたいと思う。
改めて原作や舞台をものすごく確認してみたい。

