暑い、と思うとき実際に暑いと思っているのではなくそういう時の生理反応を認識して、暑いと思っているのではないだろうか。例えば汗をかいていなければ温度が高くても暑いと思わないかもしれない。逆に、汗が出てしまえば温度が低くても暑いと思うだろうか。
「怒り」に置き換えてみる。怒ったとき、つい頭の巡りや速度が上がる気がする。だからといって、その状態のとき必ず怒っているとは限らない。と言うところまで整理した。
特に因果関係も分からないまま、思考がどんどん積み上がり、モヤモヤとした着想が具体的になる。それを「怒り」と認識すると日記としての辻褄に欠ける。
そして、一度「そういう状態」から脱すると世界が凪いで見える。実際は風が強い天気で、肌寒かった。肌寒い方が、感情としては「凪」に近い。
中央公園でアースデイというイベントがある。まとまっているのか、そうでないのかよく分からない不思議なイベントだった。ただ、この評価は「凪」バイアスが働いている気もする。なぜか色んな方面の知人が集まっていて、心が落ち着かない。多少疎遠だった人と挨拶できるのは喜ばしいが、ぎこちなさもある。共通の知人の話になって、つい共通の知人を褒めるが、後々振り返ると客観的にはネガキャン的だったかもしれない、みたいな。実際にそんな会話をしてしまった。
アースデイ意外にも色々イベントがあったようで、天文館全体的に人が多かった。
ツーブロックのオラついた小学生に絡まれたのだが、その両親の目が妙にニヤニヤしていて怖かった、とか。卑屈な猿まわしがおひねりを要求するわけでもなくただただ居るような違和感。
ちょっと気になる展示があったのに、それの近くにいた中学生があまりにもしつこいので激しく避けてしまった、とか。縦スクロールのシューティングゲームのボスキャラが放つホーミングミサイルのように執拗だった。手慣れたティッシュ配りは、同上の自機狙い弾のように1マス横に移動したら避けられる。あの中学生は2〜3マス避けても諦めず、首を明後日の方向に曲げてしまった。何かの展示を見逃した。
心身の反応としては「がっかり」に近い気もするのだが別に期待が削がれたわけでもない。とくにそんなつもりもないのだが、稀に会う知り合いと妖怪のような知らない人と遭遇しすぎて許容量が過ぎた、という表現も近い気がする。
夕食を食べていたら、微妙に夜のイベントに行くタイミングを逃してしまったので、ジョジョ7部を寝るまで読んでいた。序盤と最終盤だけ読んだ記憶があり、スタンド辞典みたいなサイトでおぼろげな展開を知っている。ちょうど冬のナマズのところで寝た。たぶんそこから最終盤の流れを微妙に納得してしまった。

